スマートフォンを持っている事。
スマホを捨てて、部屋にあるのは固定電話と布団のみ、とかだったら凄いと思う。
一番の文明の利器を持っておいて、「モノに支配されなくなった」というのは違うんじゃないか。
貧乏人からの質問です。
ものを減らす、その物欲についてよく考えましょう、っていうのにはとても賛同できるんですけど
貧乏人ほど準備しておくことって多いと思うんです。
例えば、安い時に先んじて必要になりそうなものを買っておくとか。
こういうことでミニマリストじゃなくなっていくと思うんですが、そのあたりのバランス感覚ってどうしてるんでしょうか?
必要なときに必要なモノやサービスを買うっていうのは、お金の面ではかなりの負担になると思うんです
必要になりそうなものは多くないってことを知ることだよ
安売りしてるから今のうちにたぶん必要になるから買っとけじゃダメだよ
あれば便利かもしれないがなくても平気なものも多いし、いざとなれば借りたらいい
最初の一行はわかるんですけど、消耗品だとかは生きてる限り必要だったりしますよね?
そういうコストの面と、ものを抱えないという思想をどうやってか共存できたらな、と。
あと、借りればよい、っていう他力本願はよくないと思うんです
借りればいいというのは何も他力本願なのではなく、コミュニケーションをきちんととって共存するということ
それにきちんと対価払って、カーシェアリングだったりレンタルサービスも含むよ
消耗品の類も、たくさん在庫抱えたらむやみに使ってしまうでしょ
今必要なものだけじゃなく、将来絶対使うものなら、生活空間を極端に占領しない限り持ってても良いと思う。
使うかどうかもわからないものを持ってるのはやめよう程度だろ。
何も持たないのが偉いわけじゃないから。
このスレに賛同する人たちは、ミニマリストの暮らし方は
ブランド物に囲まれた生活をする人と同様で
金持ちの道楽だってとっくに気がついてるんじゃないの
本当に貧乏でものが買えない人の質素な生活は
まず部屋に当たる照明の明るさからして違う
今年は必要ないけど、来年着るつもりの特価のTシャツを買っておくような
もはや全然ミニマリストじゃないですけどもw
そういう自分のお金との兼ね合いを考えたミニマリストの人はどんな感じなのかな?と思ったんです
ここで違和感を持たれているのは拒食症みたいな極端なミニマリストのことだから、そういうやりくり上手的なやつは問題になってない。
その道のプロが香港の片付けられない人の家に行っていらんもの整理させてたときも
箱ティッシュの買いだめをやめさせることが出来なくて折れてたな
程度じゃなく。
別に空間あって金もあるなら、むしろギリギリまでモノがあったほうが何かと便利じゃん。
すっきりした、って思うことになんの意味があるんだ?
なんか面倒で暮らしにくそうな事してるよね
机も椅子も捨ててパソコンや勉強が床直置きとか
家族の物も処分して
シンプルに生きたいって言う割に暮らしにくくて不健康そう
寧ろ快適に楽しく暮らすのを拒否してる感じさえする
食事を外注すれば食器や調理器具や冷蔵庫は一掃できる
服やクリーニングを外注すれば洗濯機もクローゼットもいらない
どこまで突き詰めたいか知らないけど
代償として対価を支払わなきゃいけない
庶民の収入ではまず無理になってくる
物を捨てさせるのも金になるのよね
それもう、ホテル暮らしした方が早いな。
経済力があればそうしたい、って人はいるんですかね?
下手すりゃシーズンごとに服捨ててる
だから、本当のミニマリストは貧乏人とは一線隔すらしい
買えば良い、頼めば良い、外注ばっかだから当然、金は必要
だから、決して「快適ライフ」にはなんない
最小限主義=ミニマリスト
物捨てて我慢するしか能がないのをミニマリストというのは違うと思う
ミニマリストの人たちも生活パターンはミニマル化したくはないだろうと思うけどね
ミニマリズムに限らずそうだけど
メディアに露出してるようなミニマリストはメディアの偏向な味付けも含め基地外な偏執狂だと思われるようなのしか取り上げてないからそこを議論する意味はないと思うな
メディアの、消費の増大を煽る広告塔という一面的な役割だけが肥大化してる現在じゃ、どう足掻いてもミニマリズムとは相容れない
だからメディアとしては
・ミニマリストになるために厳選された物を買え!(消費しろ)
・ミニマリストになるために全てアウトソーシングしろ!(消費しろ)
といった矛盾を声高に叫ぶか
・ミニマリストはこんなに変な人!普通の人には真似できない!(だから大量消費が正しい)
という人に消費をさせる方向でしか扱えないんだよね
そこに承認欲求がマキシマリストな人が渡りに船で乗っかってるだけという
モノは少ないけど、ハイクオリティ求めるのがミニマリスト
最小限主義なら物の質は関係ないし、量も関係ない
ミニマリストにもいろいろあるんだよ
本来のミニマリストは「生活の質を上げる」のが目的
それなのに「物を減らす」ことばかりに拘りすぎるのは間違い
・貧乏ミニマリスト(貧乏性ミニマリスト)
ただただ貧乏、また貧乏性のため「だったら物は要らない」って人
・お洒落ミニマリスト
「なんかお洒落でカッコいい」で飛び付いてる
・勘違い修行僧ミニマリスト
生活の質を上げる目的を忘れ、ひたすら手段でしかない「物を減らす無くす」に憑つかれてした病的な人
・執着ゼロ金持ちミニマリスト
お金持ちで自分の持ち物に無頓着
・実践的ミニマリスト(本来の姿のミニマリスト)
日々使う物を「自分の必要な物だけ」にして生活の質を高める
「自分の必要な物だけ」というのがポイント
物は持っている、ただし自分の生活の質を高めるものだけ
他人から見ると物を減らしまくる「いわゆるステレオタイプのミニマリスト」のようには見えない
これらを全く別々のもの
確かに自分がミニマリストと気付かない人もいるだろうけどやっぱり全員がそうではないと思う
質を上げようとするとき何かをプラスしたがると思う
マイナスして質を上げるっていう発想は意識しないと難しいと思うからやっぱりそういう人はミニマリストを自称すると思う
自分も質を上げるにあたりミニマリストという手段を取ってる
>>843
使わない物を余計に持ってるのは「プラス」なのか
そこからよく考えるべき
不要なものはあるのがマイナス
ないのがプラスである
余計なぜい肉のようなもの
あるのはマイナス
なくせば、それはプラス
>>845
なんでやねん。
別に物があってもマイナスじゃねえよ。空間があって邪魔じゃないかぎり。
確実に存在がマイナスなんて生ごみくらいだ。
そもそもモノが減ってなんのメリットがある?
そこに気分的な爽快さを感じな限り意味はない。
でもまあ人生楽しんでないんだろうな。
色々趣味持てばそりゃモノは増える。他人からは無駄にみえるものが。
でも充実するからな。
>>845
単純に幼稚園児でも分かる物理的な話をしてんだよ
質のプラスとはまた別の単純な話
同じ鉛筆3本は数えたら3本、使い道は1つ
2本捨てたら-2本
残った鉛筆は1本
物の数はマイナス、使い道は±0、質はプラス
夕食で、彩りが欲しいなともう一品作ることはプラスだし誰でも思いつく
豊かにしようと何かを足すというのは普通
豊かにしようと数を減らすのは意識しないと難しいってこと
>>851
同じ鉛筆3本って喩えは無理があるなぁ。
24色色鉛筆から22本捨てて赤と黒の2色にするのがミニマリストだろ
質はプラス?マイナス?
ほとんどの人がミニマリストと気づかないと思う
文明の発展によって(ほぼ)必要なくなってしまったものってのはあるよね
それを取捨選択するだけでもミニマルへと向かっていくのかなと思う
携帯電話があるから腕時計はいらない、とかね
代替品がないものを捨てるのにはちょっとした考えの切り替えやセンスが要求されそう
革靴を3足持ってるのか、それとも冬用のブーツやスニーカーも含めて3足なのか。
後者だとしたら少な過ぎるよね?
革靴って何足か持ってローテーションするものだし。
礼節を踏まえつつ逸脱できるところはあるだろうから
辛いのでWii Uとスプラトゥーンを買いました
青と黄色組み合わせれば緑になるし緑のは要らないや、が本来のミニマリストだと思うがね
モノが増える=幸せである
という思い込みから抜け出せないのは今の老人層に多いね
なんでも買って増やして貯め込んで
高度経済成長期の亡霊みたいなのをよく見る
そういう親を見て育った子供がカウンターウェイトとして極端な断捨離や極限ミニマリストに走ってる、というのは土壌としてあると思うわ
なんでも中道は難しい
本質を見出したいという欲求に対するアプローチとして
多くの無駄を取り除こうとするのは分かりやすい方法論だと思う
じゃあ別の方法論はというと、取り除く作業よりも、増えるプロセスの中で気付きが生まれるという論理もあるんだろうとは思う
>>856
買えや増やせやで行ってた時代は、この後者のセンスが隆盛だったんだろな
その観点に非常に同意した
ちなみに子世代の俺は前者寄り
蔵書棚もテレビもスマホも必要ないから持ってないけど
服は余裕持ってローテーションできるくらいの量はあるし
食器もわりと好きだから必要量ちょいプラスくらい持ってる
いわゆるミニマリストでは全くないけど、ベクトルとして理解できる部分はある
自分の中では856が言うところの中道を目指してるような感覚ではある
美学とか趣味ってのはそういうもんだよね。貧乏人の救いになる思想じゃないのを理解した
うまくエッセンスをとりこんで生活をシンプルにするしかないなあ
国語用は漢字が書きやすい2B、数学用は思考に追い付いてくれる滑らかさのB、英語用はブロック体の殴り書きでも折れないHBって分けてるようなもん
何で物を少なくするのかって究極のズボラだからに決まってんだろ
使わんものは要らない
とても単純なことさ
自分や家族の存在さえ空間を汚す!って疎ましくなってしまうよ
拒食症がやせ衰えてまだまだ痩せなくちゃって思い詰めるのと一緒の病態
なんで想像で物かたるの?
何なの?
ホンマもんのミニマリストなんぞここにはいねーからさ
ここはどっちかっていうとアンチスレだし
空気読めてないよね
ミニマリスト以外にも、旬なワードは執拗に叩く
どう頑張っても話しが噛み合わないから相手する気がしない
だから趣味を持たないようにする、って発想もちょっと・・・
なんか色々上手に選択しなきゃならんよね
無駄なんだからそこ全捨てでしょ
ミニマリストを叩いたり攻撃したがる心理って、
ミニマリストの目指してる理想や美徳を聞かされると
自分が「その理想や美徳から外れた劣った恥ずべき存在」になったような感覚になるからだろうな
だからやたら感情的に攻撃する
タイプの違うミニマリスト気取りが叩いてるだけ
一番の文明の利器を持ってるから持ち物が少なくて済むのに>>1は何言ってんだ
佐々木みたいなのをミニマリストの代表だと思って批判されたらちょっと嫌だなー
それがミニマリスト
すごいと思う
たくさん物を持ってちゃんと手入れして掃除も行き届いていて整理整頓された状態で管理してって自分には無理
バカだし要領悪いししなきゃいけないことたくさんあるから
できるだけ掃除や管理に時間掛けたくないけど手は抜きたくないから物を減らしただけ
管理完璧マキシマリスト>>>>管理完璧ミニマリスト>>>>>>>>>>勘違いミニマリスト>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>汚家マキシマリスト
だと思う
要らない物は捨ててさ
えらい間口広いな
ちょっと溜め込むのをやめて
ちょっと片付けてみませんか
今日から始まるミニマリスト・ライフ
という定義がそもそも不要では?
最小限とは何も無いわけではない。
掃除もダイエットも商売も要諦は「断捨離(≒イン・アウト)」だと思う。
このインとアウトを極めれば新陳代謝高められる。
非文明じゃなくて気分をすっきりさせとくために
用途とかいつ使うかとかよくわからんモノと関わらんってことなんじゃないのかにゃ。
そういうイメージってだけだけど(´・ω・`)
>>892
人類全体から見れば皆コレクション気質なんだけどね
人間が絶滅しそうな生物を保護するのは将来そこから役に立つものが生まれてくる可能性があるから
大学で何の為かわからない無駄な研究を幾つもしてるのもそう
学問自体が無駄の塊なんだよ
というかまず生物的にも遺伝子に無駄な多様性がなければ急な環境変化に対応できないしね
だなら今役に立たないから無駄であると断じるのは早計で
そうして早とちりで身軽になった癖に、その無駄から生まれたはずの技術や産業を使って便利に生きようとするのは生活形態としては寄生生物に近い
自分がヒッピーや自給自足型のミニマリストには共感を覚えるが、極限ホテル暮らし型のミニマリストには嫌悪を覚えるのはそういう理由だと分析している
つまり全員が担うべき、無駄、という将来の為の余剰を自分は絶対持ちませんよ
その分金払えばいいんでしょ?
というのがそのタイプのミニマリストと言える
と、ここまで分解してみれば、嫌われるのは金にモノ言わせる成金が嫌われるのと同じ理由でもあるとわかる
>>907
ジョークでなくこないだまで流行ってたロカボダイエットでそういうことやってた人多いわw
>用途とかいつ使うかとかよくわからんモノと関わらんってことなんじゃないのかにゃ。
同意。
トレードにおける利食いや損切りみたいな概念。
家族と重ならなかった時にどうすっかだな。
更に、家族は「ミニマリスト」なんてしたくないと思ってる時。
家族持ちだと、そりゃ思い通りにはいかないか。
家族が欲しがればどんなゴミでも必要と考える、とか。
しかしよくあるのが
家族の誰も全く必要ないのに「家族の誰かが使うでしょ」
で、結局いつまでも誰も使わず放置されたまま
質の高い物を買い揃えるだけなら貯金する人もいるだろうけど、問題は維持費だよ。
高い物を買っても使用法や手入れの仕方が分かってなきゃどうしようもない。
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