無職になった人が陥りやすい「錯覚」とは(2016.06.25)
■連載/あるあるビジネス処方箋
無職を経験したことがあるだろうか。私は30代の頃、数か月間、無職だったことがある。
この間、考えていたことを振り返ってみると、「妄想」に近いものがある。
いずれも現実離れしていたし、根拠がまったくない。その後、無職の人を取材していると、
かつての自分と似たような話を聞くことがある。
おそらく、無職になると覚えやすい錯覚のようなものがあるのだろう。
今回は、そんな「錯覚」を私の経験をもとに紹介したい。
ただし、無職の人に限らず、会社員の人も十分経験する可能性がある話なのでぜひご一読いただきたい。
■解放感
これは、経験した人でないとわからないかもしれない。無職になると、毎日が日曜日となり、
何もすることがなくなる。小うるさい上司も、生意気な後輩もいない。当然、いやみを言う取引先も、
口うるさい客もいない。誰からも干渉されることがないのだ。
こんな解放感は、学生時代にもなかったことかもしれない。
無職とは、ある意味、世の中との関わりを絶つことでもある。
まるで、透明人間になったような気分になり、何をしていても許されるような錯覚を覚える。
だが、無職の期間が長くなればなるほど、転職試験で内定を得ることが難しくなる傾向がある。
たとえば、1年間、無職の人が採用試験にエントリーをすると、ほとんどの会社が書類選考や面接試験で、
「この人は他の企業を受けても内定を得ることができなかったのではないか」と疑いの目でみられる可能性が高い。
その1年でビジョンがあって何かをしていたという人でないと、面接官たちを説得することは難しいだろう。
次々と試験を受けても不採用が続くと、そのうち採用試験すら受ける気がなくなり、無職の期間は長くなり悪循環に陥る。
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http://dime.jp/genre/266367/1/
明日、税務署に行って自営業の開業届け出して来い
便利屋でもいいし、広告配信業(個人ブログで)でも何でもいい
これで明日から無職じゃないぜ
親の自宅介護で無職になったが、開放感なんてこれっぽっちもなかったよ
でも、現実逃避・・・もとい、妄想にふけることは多々あったことは否定しない
介護で数年を無職したことで、再就職にはとても苦労したよ
親の介護を数年していたが、介護職は絶対にイヤでやりたくない
それ、その虚無感とやらが当たり前
いまは日本人が当たり前に働く環境が無くなりつつある
解放感を味わえる奴ってきっと財産があって遊んで暮らせる奴だろう
無職でなくても妄想・錯覚してるやん何も学んどらん
まあ、無職であってもなくても、人間は錯覚&思い込みで生きてますわな
マスコミとか宗教とかって、おまえの反対側にあるもの=世界観ってのはこうなんやで^^
って集団を錯覚させるためにあるんやろけど
どうもさいきんうまくいってないようですなあ
ネットできる生活環境にあるのなら問題ないと思う。
そんな人生のほうが錯覚かも知れないよ
アフィや株で稼いでるとか?
親の介護全部してたら
ほんと仕事どころじゃなくなるな
転職してきた奴が
うちの職場の超絶ぬるい仕事でも
すぐ時間がとれなくなり辞めてた
親以前にそいつの人生が心配になったわ
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