「断捨離(だんしゃり)」とは、執着を「断つ」「捨てる」「離れる」という
ヨガの行法哲学・実践哲学に由来する言葉(造語)。
モノは、入り口でストップの「断」
いらないモノは、捨てるの「捨」
モノから離れて、片付けから自由になるの「離」
そんな断捨離を常に心掛け、すっきりと美しく暮らしましょう
断捨離の行き着く先は
資本や家族制度、
社会的なムーブメントに囚われない生き方に終着するのかな?
言わばスリランカの坊さんみたいに、
鉢と袈裟だけが所有物で生きるみたいな。
そういう精神的属性を伴わないならミニマリズムやシンプルライフ
との差異が無いと理解している。
>>592
行き着く先
死
「整理されスッキリした環境で快適に生活する」為のコツや考え方が断捨離
ひたすら(入ってくる物を)断って(持ち物を)捨てて(物への執着から)離れるのみ
それを続ければ極限なミニマリストでしょ?
断捨離が過程、行動だとしてもライフスタイルはミニマリストに分類されると思うんだけどな
結果シンプルな生活になったらそれは「シンプルライフ」笑
>>597はダイエットする人が全員即身仏になるって言ってるようなもの。
たとえると
ミニマリズム → あの場所に着こう(どうやって行くかはどうでもいい)
断捨離 → とにかく先へ行こう(どこへ着くかはどうでもいい)
ミニマリストを探求したいなら出家すればいいんじゃいか
風呂の大掃除中
断捨離してメイクも以前より軽くなったので、半端に残ったクレンジング剤を
捨てました
捨て報告スレにゴミ捨てたことを書く人
ただのゴミ出しからネイル落としたのまで「掃除」と主張する人w
汚部屋脳の症状の一種なんじゃないの
自分のすぐそばの人が急激に幸せになる
これでいつ死んでも大丈夫、みたいな
あとに残る人は片付けが楽で助かるよ。
5年前に祖母がなくなったが、
物持ちすぎて、いまだに捨てられず、処分できずが多い。
捨てようとすると、親や親族の横やりが凄いなんてことしょっちゅう。
特に汚部屋ってわけでもなかったんだけど空間が生まれたことで酸素を取り込みやすくなったせいか
どの時間帯も気分が落ち着いて頭がスッキリしてる。
で、そのおかげでこまめに片付けたりもしやすい気がする。
物への執着がなくなると人様への感謝や、今本当に必要な事や物がはっきりわかるようになるんだね。
いわゆるブランド品を持つ人はかなり少ないし、
服の色味もシックになったしで世間全体がシンプルになった感じがする。
本当に気に入ってるものって、服も小物もプチジュエリーもほんの少しなのだと感じるようになった。
まとめ買い好きの私にしては上出来かな
紙類、文房具、アクセは時間の割に成果が感じられずつい後回し
布団や家具や敷物の爽快感!
意外にランジェがモチ上がった
冬終わりにダウンとコタツ布団とモコモコ類を処分!
脳内であれを捨ててこれも捨てて、と妄想してる。
妄想を紙に書きだしてみるといいと思うよ。
昨年末と比べて格段に掃除が楽だしスッキリしている
掃除が楽しくさえ思えて笑った
5月に予約してまだ全然順番回ってこない本が何冊かあるんだけど。
読むのに何か月もかかって自分の書庫と言えるのかなあ。
ちなみに自分の住んでる人口30万の市のと、隣の数百万の市の図書館と両方利用できるけっこう恵まれた環境にいるとは思うんだけど。
その本に対する執着を断捨離するんだ
欲しいなら買えばよくね?
本当に欲しいものは買ってもいい。
柔軟に対応出来ないのかな
タダで済ませようとするから無駄な時間を過ごすことになる
本当に要るものだけ残すってことが目的であって、捨て自慢が目標じゃないんじゃないの?
好きな作家とかのは買いなよ
作家が食っていけなくなる
作家の心配するなら買って捨てればいいんだよ
それでお金入るから
間違っても売ったらダメだよ
断捨離の概念に縛られすぎてかえって生活が制限されるのは間違ってる
不要なものを処分することで必要な物をより活かせるようになればいいんじゃないかな
大好きなものだからって全てが大好きなわけじゃないからまだまだ削れるよね。
例えば野球狂の詩でも3巻までは稚拙でつまらないから捨ててもいいとか、
司馬の作品だって初期の幻想小説っぽいやつは所持してまで読む必要はないし、
評論集も何十年も経った今となってはちょっとまとはずれで再読の必要すらないし。
こういう発想どんどんすれば今まで聖域だったところに手をつけれそうで楽しみ。
汚部屋=その人の脳の中身
だと思う
夫専用のスペースは、仕事机も自動車も倉庫も、全てぐっちゃぐちゃで埃まみれで臭くて、まさに「味噌も糞も一緒」
既存の棚の中にある一年以上使わなかったものをすべて捨ててから言えと。
漫画家なのですが
作業をデジタル化することで大量の画材が処分できたものの
過去描いた生原稿が溜まっていてどうしようもなかった
主だった物は出版社でデータ化されていて生原稿は実質もう必要ないんだけど、唯一無二の物だから処分できなかった
しかし出版社がつぶれて預けていた一部の原稿が手元に戻らないままになった
悲しく悔しい出来事だったが、それまで一番大切だと思ってた物がなくなったことで執着が薄れた
持っていても見返す事はたぶん一生ないし、芸術作品でもないから価値もなく黄ばんでいくだけ
何より、私が死んだら遺族が処分に困るだろう
ということで家にあった生原稿をほぼすべてあっさりと処分できた
お金では手に入らない一番大切だと思っていた物を手離せたら、他の物を手離すのは本当に簡単だと思った
根底にはもったい無いって気持ちが抜け切れてないんだろうな
重要書類は水没させて千切って捨てることにした
月に1~2度、町のごみセンターに持って行くんだけど
スキースノボとベッドやタンスの多いこと。確かにスキー人口減ったもんね
うちは二世帯住宅の一部分を新築当時から貸家としてるんだけど
今回は思い切ってその人にも声をかけて
もし不要品があればついでに持っていくので・・というと出るわ出るわw
本人の名誉のために言うと決してゴミ屋敷とかではないんよ
ある程度年配の方だけど毎日働いてるしきっと処分するきっかけ欲しかったんだろうな
これを機に月に一度はさりげなく声かけてて部屋のスッキリ維持に一役買おうと思う
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/souji/1474877207/
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