「断捨離(だんしゃり)」とは、執着を「断つ」「捨てる」「離れる」という
ヨガの行法哲学・実践哲学に由来する言葉(造語)。
モノは、入り口でストップの「断」
いらないモノは、捨てるの「捨」
モノから離れて、片付けから自由になるの「離」
そんな断捨離を常に心掛け、すっきりと美しく暮らしましょう。
無理に捨てなくても、PC内にあればクリック1つで
検索して一瞬で探し出せる。
むりやり捨てねばという気持ちを断捨離したと思ってる。
自分的には場所とってた本や資料がHDにおさまって
一瞬で探したせればそれで満足。
無理に捨てなくても、レンタル倉庫内にあればカギ1つで
欲しい荷物を取り出せる。
むりやり捨てねばという気持ちを断捨離したと思ってる。
自分的には場所とってた本や資料がレンタル倉庫におさまって
取り出せればそれで満足。
自炊もレンタル倉庫も何をねぼけたこと言ってんの?って感じ
汚部屋の主の言い訳とそっくり
レンタル倉庫はレンタル料もばかにならないし
一瞬でアクセスできないから、デジタルとは全然ちがうよ。
場所があってきちんと整理管理できてるなら
捨てないでいいって当然のことだけど。
>>710
>>711
断捨離はお金節約術ではないんだが
>>710
> 場所があってきちんと整理管理できてるなら
> 捨てないでいいって当然のことだけど。
それ断捨離じゃね―じゃん
連投ごめん。
なんかこのスレ、全員とは思わないけど「物を手放す/捨てる」という行動だけに囚われすぎて
断捨離によってどうしたいのか、どうなりたいのかを見失っている人がいるようなきがす。
このスレに限らず、片付けとか断捨離界隈には
目的と手段が入れ替わってわけわかんない事になってる意識高いこじらせ系の人多いよ
そろって粘着質なのも同じ
だって断捨離って
「物を捨ててみましょう」ってものでしょ?
捨てないで断捨離っておかしくね?
何のために捨てるの?という点を見落としてる人がいるんじゃないの、という話ね
なんか、断舎離原理主義みたいな考えがあるなあと思ってみてた。
自分にとっては、断舎利(っていっていいのかな)はあくまで手段の1つで、
それで、空間ができ、時間の節約ができて
快適に生活できればいいやというスタンス。
捨てるのが目的じゃない。
逆にちゃんと管理できてて、すぐにアクセスできれば無理に捨てる必要はないと思ってるよ。
ずっと昔読んで、スキャンした本の題名をみながら、どれをiPadにいれて旅行に持っていこうかなんて
考えるのは楽しいよ。時間がたつと昔読んだ本でも感想が変わってくるしね。
断つことと離れることをして断捨離となる
これが今の自分の判断基準
が、しかし、多くは思い出要素が入り込むから、金を払っても手に入らない物に分類されてしまう
とても難しいのでお知恵を拝借したい
思い出要素を元に“過去に生きるか未来に生きるか” で判断しよう
本当に好きでかった車だけど
思い出を見える形で置いておくためだけに手間と時間をかけて維持してることに気がついた
考えてみればそんなのは昔からの仲間との思い出話で十分だ
過去何回か断捨離したけど疑問
そういうのはオカルトだから信じちゃダメ
あのね
富豪でさえ逆立ちしても大金積んでも絶対に買えないものは
今こうやって書き込みしてる間でさえ刻々と過ぎていく「時間」
そこを意識するだけで
ともに暮らしたいモノの優先順位がみえてくるよ
捨てようか残そうか
悩む「時間」も断捨離してしまう
捨てた後悔する「時間」さえも断捨離する
すっきりした部屋にしたいと思ってるけどこういうことがあると躊躇するよ
そこにどんな意味を見出すかは人による
だが多くの人は悪い気はしないだろう
スペースができた、すっきりしただけで満足出来ればいいけどな。
それだって断捨離で得られるいいものだし。
存在しないものには手間がかからないという単純な話ね
10個持ってれば10の手間が掛かる可能性があるけど5個しか持ってなければ5以上の手間は掛かりようがない
何の精神的開放感なり軽くなった感じがしない?
これ捨てようかなどうしようでもいざ捨てるとなるとふんぎりつかないなでも邪魔だな捨てたいなよし捨てようあーでもな
みたいな、たかがてめえの物ごときについて考える無駄な時間が減ったのは自分にとってプラスでした
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