人生終わってるよな。
それが解脱ってことか?
そうゆうこと言ってるんじゃね
「苦しむ自分」が「ばちゃばちゃしてる水」同様物事の本質ではないことを理解するのも肝要
物事に隔たりを設けずつながりを受け入れることで平和を得る みたいな
罪を許し、人を許し、自分を許す。
空即是色、同じ仕事でも苦痛と思う
者と楽しいと思う者がいる、自分の
思い込みを取り外し、あるがままの
現象を受け入れる。
そういう解釈の団体もあります
ものに色を付けているのは自分の思い込み。
一つの事象に善悪、苦楽で分かれるのは個々
の思い込みから。
その思い込みを取り払い、あるがままの事象
を受け入れる。
仏教は廃れてしまい、日本に入ってきた仏教は
中国経由で、中国の風土に合わせてお経が書き
換えられてインド仏教とかけ離れた教えになった。
本当のインド仏教は生きるための教えだが、中国
経由は儒教が書き込まれ、道徳的教えになった。
が言うには、禅寺のいう事を聞いていては何も
できない。
現代の禅寺の住職はエアコンの付いた家に住ん
で、出かける時はクルマに乗る、エアコンもク
ルマも人間の楽したい欲から生み出された物。
本当に欲を捨てたければ釈迦の時代と同じ生活
をしろ。
荒行をイヤがった根性なしがやる宗教だから
しょうがねえよ
その教えに縛られる人間は自分で考える事
を放棄した者。
自分は正しいと主張する。
仏教の教えの根本は、自我の消滅です。
その自我意識が、一切の苦しみの元だと言っています。
不生不滅、不増不減
仏教はこの3次元を不生不滅、不増不減と言っています。
つまり増えもしなければ減りもしない、生まれもしないし死にもしないと言ってる訳です。
変化するだけでその質量は一定だと言っているのです。
常に変化し続けているだけで、実際には無いものを有ると思い、私たちは生と死の2元に捕まってしまいます。
その苦しみの元である自我意識のスイッチを切ることで、2元 つまり生死は無くなってしまいます。
明暗 美.醜い 美味い.まずい 昼.夜 嬉しい.悲しい 生まれる.死ぬ と言うこの2元
これが本来自由である意識を、2元と言う自我意識が作り出した想念の中に閉じ込めてしまうと言うのです。
何故そうなるかと言うと、この変化し続ける3次元世界を有ると思い込み執着するからなのです。
その執着故本来は実在していない3次元その条件に捕まってしまいます。
圧力 重力 引力 電気 磁気 それに時間 この3次元における全ての条件こそが
束縛と苦しみの原因なのです。
ではこのスイッチを切る方法はどうすればいいかと言う事になると
実は簡単なのです。一回その方法を解ってしまえば実に簡単です。
見ざる言わざる聞かざる。
これまで見聞きしたものや、脳の中に詰まっている常識など一切を完全にリセットしなければならない。
この世における全ての先入観から一度綺麗さっぱりリセットする必要が有ると言う訳です。
まず一度これまでの常識や道徳、宗教すべてを完全に捨て去ります、
そして真っ新の状態の心に宇宙全体を思い浮かべます。
宇宙全体は極めて精妙な大バランスで維持されています。心に思い浮かぶすべての中で、完全なる完璧です。
その完璧は最大の喜びであるのです。
まず目を閉じ、このことだけに集中して、心の中をその満たされた大バランスの完璧に調和させていきます。
だんだん慣れるにしたがって、心の中の不完全である影が消えていきます。
そしてその大バランスの完璧と自らの完璧が一つになる瞬間がやってきます。
それは突然にやってきます。
この状態こそが肉体の祖条件を超えた自由意識です。外に感じていたその完璧はまた自らも完璧だと気付かされます。
影はなかったのです。
欠点が無い自らは、欠点の無いその完璧により完全に満たされます。
変化し続けているこの次元が消え、永遠の実在に触れます。
一度それを手にしてしまえば、あとはこの3次元におけるどのような物にも
惑わせれることは無くなります。それは本当の喜びを知ってしまったその心が
実在しない変化し続ける2元の喜び(地位、名誉、権力、金、異性)に誤魔化されなくなるからです。
最低限の肉体の維持だけにとどまり、意識をこの世の喜びと思っていたものから遠ざけることに成功したなら
永遠の自由は私たちその物です。
>>1 般若心経をちゃんと嫁ば、
この世の物質はみな原子から構成されてるがその実態はほとんど空間であって
生き物が生き死にしても原子は死ぬことはなくただ移動して他の何かを構成するだけで
この世のあらゆる現象を作っている本質はそのように活動し続けるのであって決して死ぬことはない
人間が感じている苦しみとか悲しみとかは人間が勝手に作り出しているだけのものであって
本来存在しないのだよ~ん
てなことを説いてるんだと分かるんだけどな
○○学会とか○○の科学とかじゃムリだわな
色即是空、空即是色
色=空、空=色
色=この世、この世は目に見える世界、色彩のある世界。
それは即ち無であると言っているのですから
その条件下に在る全ては実在ではないと言う事を言ってる訳です。
更に
色即是空、空即是色
色=空、空=色
色はこの世、空はあの世つまり目に見えない別次元。
これはアインシュタインが特殊相対性理論で言ってる事と同じです。
e=mc²
物質の質量は即ちエネルギーであると言っています。
エネルギーは目に見えませんが、それは目に見える物質の質量と同じであると言うのです。
話を元に戻すと、全宇宙を生かし続け維持している目で見ることの出来ないその大元のエネルギーは
小宇宙の肉体を含む、目に見える大宇宙の物質そのものであると言ってる訳です。
2500年以上前に仏教はアインシュタインの特殊相対性理論を既に言ってるのです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
意見しない事。
仏教とは、天上天下唯我独尊だろ
要するに自分の気持ちを大切にしろってことだよ
言っておくが、俺もお前も宇宙だし、お前もお前の目の前のPCも宇宙だし、
お前も空気も宇宙だし、お前も宇宙も宇宙であって、等しく尊く等しく無価値だ。
だからどうした?俺は俺だ。
時代が違うからね
昔は生きるのが過酷で、宗教は言わば自殺を防ぐための活動だったわけで
今はみんな死にたくないわけで
いつまでもこのパラダイスで遊んでいたいわけで
般若心経の現代語訳。
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか? 誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。 苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか? 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。 聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ? 何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。 それが『無』ってやつさ。 生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。 無理して照らそうとしなくていいのさ。 見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。 正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな 適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。 非情になれって言ってるんじゃねえ。 夢や空想や慈悲の心を忘れるな、 それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
ゴータマ・シッダルタの悟り
現象界即無常
無常即現象界
これこそが、現象界、つまり現れの世界は即ち常ではない
常ではないのが即ち現象界だと断言しているのです。
諸行無常も、全てのものは常に変化をしていて常ではないと言ってる訳です。
無常を無情と言って情けが無いと思い違いをしてる人が多くいますが
実際の所無常、常ではないと言うのが本当です。
無常であるこの現象界に於ける一切の条件に振り回される事なく、
一切の影響を受けることのない状態、これこそが即ち解脱です。
影響を受ける事を無くす根本となる正しさの基準として
誰しも自分に嘘をつくことは出来ません。
その嘘をつくことの出来ない本当の自分の心。
その心は人としての本質として誰にも平等に有ります。
その自らを誤魔化すことの出来ない正しい心が、善いか悪いかを判断するのです。
因果応報は、その正しい自分が、その心と行いを正しく裁き、
その行いに応じた報いを自らが受けることを言うのです。
現実逃避を推奨してるんだけど社会人には無理な難題だと思うわ
そんなことしてたら会社クビだろうがって内容ばっかり。
ネットで誰でも得られる程度の知識で聖人面するとかあつかましいにもほどがある。
大昔は本も読んだことない農民相手だから上から目線でドヤ顔できたんだろうが。
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